初めてのPC/AT互換フルタワー機

 当時、国民機PC98に慣らされていた筆者は、内部構成を変更する様な事は全く考えておらず、動作保障外のオーバークロックやPCIカードの変更などを初めて知ったのがこの機体です。筆者のモデルは PentiumPro 200MHz でしたが、ジャンパピンを変更するとクロックが変更出来るというので試して玉砕したのを記憶しています。

 初号機(PC8801MkII-sr)には本体前面にN-BASIC/V1S/V1H/V2などの切り替えスイッチが有り、動作速度の変更や下位互換などに付いて、この時に学びました。しかし、それはメーカが予め用意してくれた標準機能でしたので、Gateway2000 G6の動作保障外のクロック変更という危険な香りにどう対処してよいか悩んだのを記憶しています。

 この機体に搭載していたパーツ類は、後に1号機へと移植され、最終的には全て処分してしまいましたが、キーボードだけは現役で今でも使い続けています。

 筆者がメインマシンとして利用してきた機体のなかでは、唯一のシングルソケットです。
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ちょっと休憩 PT2. これはデュアルソケットと言えるのだろうか?

NEC PC-9801 LS
(ざっとWebを検索してみたけれど、掲載出来そうな写真が落ちてないorz その後、ここのサイトさんに後ろが切れちゃった画像が掲載されてるのを発見しました。
pc9801ls2_100.jpg


20年以上前のパソコンに付いて、今さら記事にして書くとは思ってもいませんでしたが、流れ的になんとなく書いてます。

そして、このパソコンを、このブログに掲載するからにはデュアルソケットな訳だけど、ちょっと変則的なデュアルソケットでした。

一つは、80386SXという当時最新の32Bit-CPU 80386 の安価版でバス幅が16Bitに制限されてはいたけど、ソフト的には80386と完全互換なCPUだった。

もう一つは、80387・・・と言うオチじゃなくて、NEC製8086互換CPUのV30!が乗っていました。

なぜ386とV30が同居したかと言うと、下位互換維持の為で、電源投入前にスイッチで切り替える様になっていました。
(ですから、マルチスレッドなプログラムが速く動作するとかではないんです。)

これ以前の世代のPC-9801はV30をCPUにしていたのだけれども、32Bit化の流れの中、NECは自社製のV60/70路線で行くか、インテルから80386を購入するかで悩んだと思う。V30と80386では命令セットに非互換な部分が有り、既存のPC9801シリーズのソフトが動作しなくなってしまう・・・とは言え、V60/70に至っては完全独自仕様だったので互換性がどうのと言う話ではなかった訳だけど・・・V60/70は性能は高かったけど、互換性が全く無くて既存ソフトが動かないという理由で消えていったNECにとっては悲しい歴史でもあると思う。

そして、この仕様のおかげで当時の私は悩んだ挙句に、80386とV30両方のCPUリファレンスマニュアルを購入して端から端まで熟読してしまった訳ですw
今では考えられない事かもしれないけど、PC8801MkII-SRの時にアセンブラを覚えてしまった私は、当時はアセンブラで超高速なプログラムを書くのが趣味みたいなところがあったから、そんな事をしていたのです。

突然話が飛ぶけれど、このパソコンの発売当時は、未だノートPCと言うジャンルが無く、携帯用PCとしてラップトップPCと言うジャンルが出来つつあり、このパソコンは、そのラップトップと言うジャンルのパソコンだった。

携帯用と言っても、バッテリを積んでいる訳ではなく、出張先まで何とか持って行けますよ的な発想のPCで、金属製の頑丈な持ち運び用の取っ手が付いていて、電源は100V-ACのみ。しかも画面はモノクロで重量は約5Kgくらいは有った様な気がする8Kgだったようだw。女性が出張に持って行くのは辛いだろうな。

当時の私は何かと移動する事が多く、移動先でPCを使いたいというニーズが実際にあり、それでラップトップを選んだ訳でもあります。学生時代に購入し、就職して3度目の職場でも現役で利用していた記憶が有りますので6~7年間くらいは利用していたと思います。その間メモリを増設しまして、確か1MBが1万円くらいで、4MB増設したような記憶が有ります。

このパソコンは、当時、未だカラー液晶が実用化されていない時代のモノクロとは言え、個人的には当時最新技術のプラズマディスプレイを搭載しているってところに惹かれてしまいましたw
このプラズマディスプレイ、白黒ではなく、プラズマ色でオレンジ色のプラズマが実際に放電しているようなアナログチックな一面も有ったように記憶しています。
16階調表示で、上海と言う名前のマージャンパイを崩してゆくゲームが、なんとなくカラーっぽく見えるようになっていたのも不思議な様な感じだった。
そして、外付けディスプレイを接続すれば、普通にカラーで見る事が出来たのも嬉しかった。

そんな最新技術を小さくまとめた筐体に大型のデスクトップPC系列のPC-9801シリーズと完全互換の機能を凝縮していたところも魅力の一つだった。

ただ、詰め込みすぎてしまった為か、このパソコンは、互換性の目的で携帯PCなのにフロッピードライブが2台付いていて、超薄型ドライブだった為に故障が頻発しリコール問題にまで発展し、かくゆう私のも壊れて対策品に無償交換してもらった記憶が有ります。

確か、バブル崩壊の頃まで利用していたのですが、バブル崩壊直前に仕事で SUN SPARCstation2 を使い始めてからは、不況で徹夜残業が続いた事などもあり、このPCをあまり使う事もなくなり、そうこうしているうちにDOS/V時代が到来してきて、実家で永眠する事になりました。(もしかしたら今でも実家の倉庫に有るかも?)

ちょっと休憩 私の初PC体験

未だパソコンが世間で認知されていない時代、山と川と畑ばかりの田舎で産まれ育った私が初めてPCに触ったのは、少し金持ちの友人宅だった。

コンピュータと言えば、研究所に有る巨大な装置だと思っていた私に、友人は「家にコンピュータ有るよ」とさらっと言ってのけ、しかもゲームまで出来るとの事でお宅訪問した訳だが、訪ねてみるとゴーギーガジャガジャガジャとなにやら雑音ばかりの音響カセットテープを再生しているではないか。友人曰く、この雑音をコンピュータに30分ほど聞かせてあげると機嫌を良くしてゲームをやってくれるようになるという事だった。機械の機嫌をとるのも結構大変なんだなと思いながら、ガンプラで遊んで時間をつぶした。

そうやって機嫌を良くしたコンピュータが見せてくれたのは「信長の野望」だった。

そのパソコンはNEC PC-8001、雑音を出していた音響カセットは外部記憶装置で当時は音響テープが代用できたがプログラムを読み込むのに30分以上が必要だった。そしてゲーム「信長の野望」は知る人ぞ知る、今は株式を一部上場して巨大化したKOEI(当時は光栄)の記念すべき一連の超ヒット作の第一弾だった訳です。

PC-8001
pc8001_1s.jpg


そのコンピュータに影響を受けた私は、親戚の電気屋に頼んでコンピュータのカタログ一式を取り寄せ、お年玉やら入学祝やら色々かき集めてPC-8801MkII-SRと言う稀代の名機を購入した訳です。
ここをクリックすると、当時放映されていた武田鉄也出演のPC-8801MkII-SRのTVCMが見れます
PC8801MKII-SR.jpg


購入当時、資金不足から私が購入したのは外部記憶装置の無い一番安価なモデルで、かつ、画面が買えず、本体のみ、但し当時はコンピュータ本体を買うと専用設計のキーボードが付属品として付いてきたので、本体+キーボードだけの状態だった訳です。

この状態で、私は同じく標準で付属していた分厚い N88-BASIC のリファレンスマニュアルをボロボロに成るまで熟読しまして、画面が無いので仕方なく机上で紙にN88-BASICで音楽プログラムを書いて、その紙を見ながら画面の無いパソコンに向かって画面を想像しながらプログラムを入力し、最新のFM音源と言うもので電子ピアノらしき演奏を聴きながらニヤニヤしていた訳です。

ここで、なるほど! と気付いた人は一部の88マニアだけだと思いますが、この NEC PC-8801シリーズ と言う8ビットパソコンは、実はデュアルソケットでZ80互換のCPUを2個積んでいたのです。

当時の私は、その後、お金を貯めて画面(専用の高解像度ディスプレイ)を買い、5インチフロッピードライブを1台、また1台と増設し(フロッピードライブの増設は筐体を開けて内部の配線を弄る緊張の連続でしたw)、I/Oと言う雑誌を読み漁り、秀和システム刊行の技術書を何冊も読み漁り、Z80のアセンブラを覚え、μPDの裏命令を調査し、逆アセンブラを自作して・・・と、どんどん深みにはまって行きましたが、その当時の曖昧な記憶を辿ってPC-8801のブロックダイヤグラムらしきものを書いてみますと、こんな感じになります。(恐らく間違いも有るかもしれませんが、大目に見てくださいm(_ _)m)
PC8801.jpg
(こんな感じで、現代の Opteron や 最新XEON の NUMA の様なブロックダイヤグラムですが、これらとはCPU間でメモリやI/Oバスを共有出来ない点で大きく異なります。ですが8BitのZ80互換CPUでDual-CPUを実現してくれた、このPCの設計者には敬服ものです。)

予断ですが、この当時のCPUは、命令毎に動作クロック数が決まっていて、完全な順次実行であり(アウトオブオーダーではない)、メインメモリはCPUクロックと完全に同期しレイテンシも有りませんでした。そこでアセンブラでプログラムを組む際は、動作クロックを足し算しながらループの内側を削ってゆくようなチューニングをしていました。

と、そんな感じでPC-8801MkII-SRにはまってしまった私は、この時からCPUが二つ有る事の素晴らしさを体験してしまい、もうそこから抜ける事が出来なくなってしまった訳ですw

そして、これも予断ですが、PC-8801MkII-SRにはPC-8001の互換モードが用意されておりまして、私が始めて体験しました「信長の野望」も全く同じ物を自宅で楽しめるようになり、それがキッカケとなり、恐らくパソコン用に発売された「信長の野望」はシリーズ全作品を購入し時には徹夜で遊んでいたり・・・
ちなみに第一作目の「信長の野望」はN-BASICで書かれた結構素人っぽい単純なプログラムで、ソースを簡単に修正できたので自分でゲームの改造が出来ました。

追記:
PC8801MkII-SRはフロッピードライブの増設以外にも自分で改造したのを思い出しました。
キーボードの2468キー、スペースバー及びReturnキーのスイッチに対応するジョイスティックをキーボードの配線を弄って取り付けてましたw
高校に進学して友人がファミコンに熱中するなか、ゲーム専用機など購入が許可されなかった我が家でも、このパソコンが親に内緒のゲーム機としても活躍してくれた訳ですw

追記:
いまでこそ3D立体視はメジャーになりつつありますが、この時代は未だ開拓中の領域でした。
ちょうどPC-8801MkII-sr発売の翌年にキャプテンEOが公開されたり、ゲームセンターで液晶シャッターを採用した立体視のレースゲームが登場するなど、特殊な施設での立体視は有りましたが、ご家庭で・・・と言う所までは普及していませんでした。
そんななか素人でも簡単に製作可能な立体視が赤青メガネを使った立体視ではないかと思います。
レイトレーシングという技法を使った3D描画に興味が有った筆者は、この原理を応用して視点の位置を左右にずらして物体を赤と青で個々に描画して赤青メガネで覘いて楽しんでいましたが、これには大きな問題があり、当時の8Bit4MHzのパソコンではレイトレーシングの計算に1画面辺り数日を要した事です。
そこで常套手段としてワイヤーフレームと言う事になり・・・
結局リアルな3D立体視は当時はまだまだ時期が早かったのだと思います。
プロフィール

DualSocketTheWorld

Author:DualSocketTheWorld
自作を始めて20台目くらいになりますが、最初からデュアルソケット限定(始めた当時はデュアルスロット)で自作しており、近年になってAMD K6を試したくなりSocket7でK6-2+のシングル構成で組んだのがシングル初です。

シングルマザー(含:シングルソケットマルチコア)や4ソケット以上の自作は基本的にしませんし、メーカー製PCの改造も基本的にはしません(ノートPCのSSD化くらいはしますが・・・)

基本路線はワークステーションと呼ばれる分野での自作で、OSもWindows系であればProfesionalが主な対象に成ります。

ゲーマーの様なOverClockは行わず、WS路線としてハイエンドCPUとハイエンドGPUの組み合わせで定格或いはDownClockで発熱を抑えつつ、その時のアーキテクチャに置いて爆速かつ静音を目指し、30年以上の長期に渡り稼動状態をキープする事を目指します。

※基本的にリンクフリーです。どこでも自由にどうぞ。

※画像は時々変ります。

※お決まりの文章ですが、改造は個人の責任で行ってください。ここに記載された情報は間違いを含んでいる可能性が有り、それを元に製作や改造などをして失敗しても筆者は一切責任持てませんので悪しからず。

筆者略歴:
小学生時代にゴミ捨て場で拾ったジャンクテレビ数台を分解して部品を取り出し真空管アンプを自作、中学生時代にPC8801mkⅡsrでZ80アセンブラを始める。社会人になって初のプログラムは弾道計算、後に医療系・金融系プログラマ~SEを経て100~200人規模プロジェクトのジェネラルマネジャを数年経験、独立して起業。現在は不動産所得で半引退生活。
(人物特定を避ける目的で一部経歴を変更しています)

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