ソケット形状の進化論にみる最近のIntel暴走の理由を探る

最近、Intelが暴走しはじめ非互換の新ソケットを連発しているのは何故か?を進化系統図を作り探ってみました。
筆者的なスイートスポットであるLGA2011とは別にLGA1356が登場した事が図を書いてみた発端です。

系統樹
SocketMKT2.png

西暦を併記して、ソケット数(セグメント)で別けてみました。
SocketMKT3.png

図を描いて暴走の理由に納得です。

簡単に言うと、以下の2点が原因ですね。
1)ItaniumがXEONに統合
2)今までチップセットが担った機能を世代毎にCPUに順次統合している

つまり、長らくSocket604を続けてきたXEON-MPが、Nehalem以降のメモコン内臓CPUに耐え切れなくなり、加えて Itaniumとの統廃合を巻き込んだ事により、XEONの守備範囲が1.5ランク上にシフトした結果LGA2011とLGA1356が誕生したと言う事ですね。それに加えSocketG34を牽制する意図も有りそうです。

もう一つのソケット形状乱発の原因は、メモコン内臓、GPUの内臓、PCIeコントローラの内臓、といったノースブリッジの機能を順次CPUに取り込んだ為で、これによって執筆時点で既にノースブリッジは事実上消滅し、恐らく次世代でサウスをも取り込み、続いて不揮発メインメモリを取り込むかもしれません。

そうなると、以前の記事で書いた様に、CPUからの外向きI/Fは Thunderbolt(+USB3.0)だけと言う事に成り、超小型高性能のワンチップスパコンの完成か?
それまでしばらくはソケット形状の乱発が続きそうな予感がしてきました。

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No title

いやあサードパーティー出る幕なしですな。

Re: No title

> いやあサードパーティー出る幕なしですな。

セカンドソースのZ80に始まりK6-IIIで終わったのが大きな流れでしょうか?

その後は、VIA-C3がSocket370互換でこれがx86での公式なソケット互換の最後、VIA-C7がSocket479互換だったもののクロスライセンス期限切れで非公式互換という微妙な状況で、これが事実上の最後のソケット互換ではないでしょうか?

最近、XEONのソケット互換でKnights Cornerという製品が企画されましたが、商品化は無くなったかもしれません(とは言え、仮に商品化され出荷されたとしてもIntel製なのでサードパーティーではないですね)

Socket7時代がCPU群雄割拠で一番楽しかった時代かもしれませんね・・・
群雄割拠と言えば、以前、こんな記事を書きました。
http://dualsocketworld.blog134.fc2.com/blog-entry-229.html

Re: Re: No title

そうそう、
チップセットビジネスは、AMDがATIを買収し、IntelがNehalemを作った時に終了しましたね。

もう、あと残るはコンデンサとか抵抗器とかのディスクリート系と、VRM用のDC-DCコントローラくらいか?
プロフィール

DualSocketTheWorld

Author:DualSocketTheWorld
自作を始めて20台目くらいになりますが、最初からデュアルソケット限定(始めた当時はデュアルスロット)で自作しており、近年になってAMD K6を試したくなりSocket7でK6-2+のシングル構成で組んだのがシングル初です。

シングルマザー(含:シングルソケットマルチコア)や4ソケット以上の自作は基本的にしませんし、メーカー製PCの改造も基本的にはしません(ノートPCのSSD化くらいはしますが・・・)

基本路線はワークステーションと呼ばれる分野での自作で、OSもWindows系であればProfesionalが主な対象に成ります。

ゲーマーの様なOverClockは行わず、WS路線としてハイエンドCPUとハイエンドGPUの組み合わせで定格或いはDownClockで発熱を抑えつつ、その時のアーキテクチャに置いて爆速かつ静音を目指し、30年以上の長期に渡り稼動状態をキープする事を目指します。

※基本的にリンクフリーです。どこでも自由にどうぞ。

※画像は時々変ります。

※お決まりの文章ですが、改造は個人の責任で行ってください。ここに記載された情報は間違いを含んでいる可能性が有り、それを元に製作や改造などをして失敗しても筆者は一切責任持てませんので悪しからず。

筆者略歴:
小学生時代にゴミ捨て場で拾ったジャンクテレビ数台を分解して部品を取り出し真空管アンプを自作、中学生時代にPC8801mkⅡsrでZ80アセンブラを始める。社会人になって初のプログラムは弾道計算、後に医療系・金融系プログラマ~SEを経て100~200人規模プロジェクトのジェネラルマネジャを数年経験、独立して起業。現在は不動産所得で半引退生活。
(人物特定を避ける目的で一部経歴を変更しています)

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