ちょっと休憩 PT2. これはデュアルソケットと言えるのだろうか?

NEC PC-9801 LS
(ざっとWebを検索してみたけれど、掲載出来そうな写真が落ちてないorz その後、ここのサイトさんに後ろが切れちゃった画像が掲載されてるのを発見しました。
pc9801ls2_100.jpg


20年以上前のパソコンに付いて、今さら記事にして書くとは思ってもいませんでしたが、流れ的になんとなく書いてます。

そして、このパソコンを、このブログに掲載するからにはデュアルソケットな訳だけど、ちょっと変則的なデュアルソケットでした。

一つは、80386SXという当時最新の32Bit-CPU 80386 の安価版でバス幅が16Bitに制限されてはいたけど、ソフト的には80386と完全互換なCPUだった。

もう一つは、80387・・・と言うオチじゃなくて、NEC製8086互換CPUのV30!が乗っていました。

なぜ386とV30が同居したかと言うと、下位互換維持の為で、電源投入前にスイッチで切り替える様になっていました。
(ですから、マルチスレッドなプログラムが速く動作するとかではないんです。)

これ以前の世代のPC-9801はV30をCPUにしていたのだけれども、32Bit化の流れの中、NECは自社製のV60/70路線で行くか、インテルから80386を購入するかで悩んだと思う。V30と80386では命令セットに非互換な部分が有り、既存のPC9801シリーズのソフトが動作しなくなってしまう・・・とは言え、V60/70に至っては完全独自仕様だったので互換性がどうのと言う話ではなかった訳だけど・・・V60/70は性能は高かったけど、互換性が全く無くて既存ソフトが動かないという理由で消えていったNECにとっては悲しい歴史でもあると思う。

そして、この仕様のおかげで当時の私は悩んだ挙句に、80386とV30両方のCPUリファレンスマニュアルを購入して端から端まで熟読してしまった訳ですw
今では考えられない事かもしれないけど、PC8801MkII-SRの時にアセンブラを覚えてしまった私は、当時はアセンブラで超高速なプログラムを書くのが趣味みたいなところがあったから、そんな事をしていたのです。

突然話が飛ぶけれど、このパソコンの発売当時は、未だノートPCと言うジャンルが無く、携帯用PCとしてラップトップPCと言うジャンルが出来つつあり、このパソコンは、そのラップトップと言うジャンルのパソコンだった。

携帯用と言っても、バッテリを積んでいる訳ではなく、出張先まで何とか持って行けますよ的な発想のPCで、金属製の頑丈な持ち運び用の取っ手が付いていて、電源は100V-ACのみ。しかも画面はモノクロで重量は約5Kgくらいは有った様な気がする8Kgだったようだw。女性が出張に持って行くのは辛いだろうな。

当時の私は何かと移動する事が多く、移動先でPCを使いたいというニーズが実際にあり、それでラップトップを選んだ訳でもあります。学生時代に購入し、就職して3度目の職場でも現役で利用していた記憶が有りますので6~7年間くらいは利用していたと思います。その間メモリを増設しまして、確か1MBが1万円くらいで、4MB増設したような記憶が有ります。

このパソコンは、当時、未だカラー液晶が実用化されていない時代のモノクロとは言え、個人的には当時最新技術のプラズマディスプレイを搭載しているってところに惹かれてしまいましたw
このプラズマディスプレイ、白黒ではなく、プラズマ色でオレンジ色のプラズマが実際に放電しているようなアナログチックな一面も有ったように記憶しています。
16階調表示で、上海と言う名前のマージャンパイを崩してゆくゲームが、なんとなくカラーっぽく見えるようになっていたのも不思議な様な感じだった。
そして、外付けディスプレイを接続すれば、普通にカラーで見る事が出来たのも嬉しかった。

そんな最新技術を小さくまとめた筐体に大型のデスクトップPC系列のPC-9801シリーズと完全互換の機能を凝縮していたところも魅力の一つだった。

ただ、詰め込みすぎてしまった為か、このパソコンは、互換性の目的で携帯PCなのにフロッピードライブが2台付いていて、超薄型ドライブだった為に故障が頻発しリコール問題にまで発展し、かくゆう私のも壊れて対策品に無償交換してもらった記憶が有ります。

確か、バブル崩壊の頃まで利用していたのですが、バブル崩壊直前に仕事で SUN SPARCstation2 を使い始めてからは、不況で徹夜残業が続いた事などもあり、このPCをあまり使う事もなくなり、そうこうしているうちにDOS/V時代が到来してきて、実家で永眠する事になりました。(もしかしたら今でも実家の倉庫に有るかも?)
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No title

思い出しました。
確かRA21ぐらいまでV30積んでいたと思います。
当時は如何に高速でDOSのソフト(多く人の使い方では
Lotus1-2-3ではなかったのではないでしょうか)を
如何に速く動かすかが関心事でした。

当時桐とかdBASEⅢはあったのですが、使いにくい
イメージが強く、1-2-3でデータベース的な使い方を
していました。

当時東芝のT3100の日本語対応版が、ラップトップ市場を
席巻しかけていましたが、その対抗機としてとりあえず
出しましたという感じでした。

32bit機としては、メモリ搭載量があまりにも貧弱でした。

Re: No title

> 確かRA21ぐらいまでV30積んでいたと思います。

私が憶えてるのはFとかMとかU2・・・くらいまでで、あとは全部一緒に見えます・・・

その時代、私はUNIXばかり使っていたので98の出番はUNIXの端末として使っていたくらいで・・・

PCで開発していた時はiii(トリプルアイ)やNetwareとかBtrieveですかね・・・
REDやMifesも使いました
あとはドキュメント(技術資料作成)に一太郎ですかね・・・

表計算とか、その手の物はC言語で組む方が早かったので、あと、まぁ、UNIX環境でsed + awk

DOS/VやWin95の時代になった頃、私はアメリカに居たので98の最後の顛末をあまりよく知らないのです。

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No title

連投ですみません

人様のblogで、ネタ違いの話を書くのは何なんですが、
アーキテクチャの撤退戦で一番うまかったのは、68000系
→PowerPC、Power→Intel系の移行をスムーズにできた
Appleでしょうね。
FMR、98は後は知らんわでしたが、x68000はエミュレータ
環境の提供、EPSONは98互換機から撤退時にはソフト、
ハードのエミュレータを出していました。

多分仕事のやり方も同じで、変化する新しい環境に合わせた
枠組みを受けいれながら、過去からの資産をどうエミュレート
させていくかが、時代に対応することになるのだろうと思うのです。

Re: No title

> アーキテクチャの撤退戦で一番うまかったのは、68000系
> →PowerPC、Power→Intel系の移行をスムーズにできた
> Appleでしょうね。

Appleやx68000は独自のガラパゴス的なOSなので自社でって事なんですが
PC9801のOSは全部MS製なのですよね・・・

探せばPC9801エミュレータは数種類ありますが、Windows環境で動作する
ので本体がNEC製である必要がないという状況で、、、

No title

そこは「NEC伝統のプロテクト機能付き」のPCIエミュレータ
ボードを搭載していたならば・・・

Re: No title

> そこは「NEC伝統のプロテクト機能付き」のPCIエミュレータ

NEC製のBIOSを搭載したDOS/V互換機でのみ動くというパターンが理想ですかね

電源投入時にはピポが鳴り、切り替えスイッチでDOS/V互換BIOSとN88-BASICを切り替え可能とか・・・
プロフィール

DualSocketTheWorld

Author:DualSocketTheWorld
自作を始めて20台目くらいになりますが、最初からデュアルソケット限定(始めた当時はデュアルスロット)で自作しており、近年になってAMD K6を試したくなりSocket7でK6-2+のシングル構成で組んだのがシングル初です。

シングルマザー(含:シングルソケットマルチコア)や4ソケット以上の自作は基本的にしませんし、メーカー製PCの改造も基本的にはしません(ノートPCのSSD化くらいはしますが・・・)

基本路線はワークステーションと呼ばれる分野での自作で、OSもWindows系であればProfesionalが主な対象に成ります。

ゲーマーの様なOverClockは行わず、WS路線としてハイエンドCPUとハイエンドGPUの組み合わせで定格或いはDownClockで発熱を抑えつつ、その時のアーキテクチャに置いて爆速かつ静音を目指し、30年以上の長期に渡り稼動状態をキープする事を目指します。

※基本的にリンクフリーです。どこでも自由にどうぞ。

※画像は時々変ります。

※お決まりの文章ですが、改造は個人の責任で行ってください。ここに記載された情報は間違いを含んでいる可能性が有り、それを元に製作や改造などをして失敗しても筆者は一切責任持てませんので悪しからず。

筆者略歴:
小学生時代にゴミ捨て場で拾ったジャンクテレビ数台を分解して部品を取り出し真空管アンプを自作、中学生時代にPC8801mkⅡsrでZ80アセンブラを始める。社会人になって初のプログラムは弾道計算、後に医療系・金融系プログラマ~SEを経て100~200人規模プロジェクトのジェネラルマネジャを数年経験、独立して起業。現在は不動産所得で半引退生活。
(人物特定を避ける目的で一部経歴を変更しています)

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